今日、NHKの逆転人生を見た。
ある先生が赴任した高校が絶望的な教育困難校。
退学をしてしまう生徒が1年に100人近くもいる。
授業への熱意などカケラもない。
それは無気力という言葉では整理がつかない現実。
先生たちはその根本を調べると子どもの貧困。
その連鎖を断ち切るために先生たちの闘いを描いていた。
子供の貧困やそれに伴う教育格差などは言葉では私は知っていた。
しかし、そこにいる子供たちがどういう状況なのか、何を思っているのかは知らなかった。
現実の高校を知らなかった。
私の経験での視点しか持ち得ていなかった。
福祉制度の存在さえも知らない人を知らなかった。
子供たちは将来への希望もない。
今日をどう生き延びるだけ。
先生たちがはじめたのは「反貧困学習」。
先生たちの熱意は生徒に届いて、生徒たちは将来を考えるようになる。
先生たちの思いが生徒を変えた。
この高校の先生たちは、私生活を犠牲ににして生徒たちと向き合ってきた。
それを続けて、生徒たちに希望であるとか将来であるとかを思う力を持たせられた。
そんな先生たちを私は畏敬の念しか持てない。
先生たちの一つひとつの行動に私は尊敬する。
私は、ボランティア活動に取り組める人には尊敬の思いしか無い。
大学のゼミの一環で特別養護学校に研修に行ったことがある。
その時、特別養護学校の先生と研修の最後にフリートークの場があった。
ボランティア活動を行うことによって、「私はいいことをしてあげているんだ」という思いを持つことが偽善者のように思えると本音を言った。
何か、五体満足で生まれてきた自分が施しをしているような思い上がりが嫌だった。
すると、特別養護学校の先生は、
「それでいいんですよ」
と言った。
「あなたの活動で誰かが結果的に助かるのなら、それでいいんです」
と。
私は今でも、人に優しく言葉や行為を行う時に考えてしまう。
優しさの安売りは出来ない。
優しい言葉や助けの手を差し伸べる時は、腹をくくる気持ちがあるか自分に問うてしまう。
自分の子供と同じくらいに自分に出来ることをやれるかと。
結局、私の器の小ささなのだろう。
でも、少なくとも手を差し伸べる時は最後まで私に出来ることはやろうと思う。
NHKの逆転人生の先生たちの取り組みを見て、ただ、世の中にはすごい人がいるなと思った。
私は、先生たちが多くの生徒に与えた希望を、何人に同じことが出来るのだろう。
先生たちへの畏敬の念と自分の心の弱さを感じた。
2021年1月25日(月)