不動産コンサルタントのつぶやき

不動産コンサルタントが商業などで思うこと

弱い自分を見せてもいいよね。阪神淡路大地震から25年に思う。

阪神淡路大地震が起きてから25年が過ぎた。

しかし、阪神淡路大震災はまだ続いている。

 

 

口には出せずに悩みを抱えている人たちがドラマでは描かれていた。

「助けて!誰か助けて!」という声が、いつも聞こえている女性。

今も揺れている、と感じでいる男の子。でも、そんなことをいうのが恥かしい。

 

とても、とてもとても多くの犠牲者が出た災害に遭遇した人。

それはそれは、心に大きな傷が残るのも当然である。

 

約9年近く前の東日本大地震

東京にいた私も心が病んだ。

ショッピングセンターの運営がその時の仕事。

毎日多くのお客様が、買い物のために朝から行列が出来た。

一日一日を、事故なく過ごすために動いた。

 

地震直後の慌ただしい日々は、張りつめていたのか、そうやって過ぎていった。

やっと、落ち着きを取り戻したとき、病んだ。

 

電車乗れない。

人混みの中にいるだけで目眩がしてくる。

 

でも働かなければないけない。

毎日、タクシーで通う訳にもいかない。

そこで、毎朝、空いている始発電車に乗った。

気持ちが悪くなったら、車掌さんに言えるように最後尾の車両に。

 

帰りの電車は、目を閉じて、ヘッドホンで曲を聴きながら、

周りの景色も音も遮断した。

それでも、すぐ胸が苦しくなり、次の駅で降りた。

少し気が落ちつくと、最後尾の車両に乗り、行けるとこまで行く。

降りて、気が少し落ちつくとまた乗って。

 

そんな私よりも被災した人々の心の傷は如何程だったのだろう。

そう思うと自分は何と弱い人間かと思えてしまう。

 

「助けて、誰か助けて」という言葉がずーっと聞こえていると言った女性。

 

私も救急車のサイレンの音がしばらく、ずーっと聞こえていた時期がある。

ホテルで急に意識が遠去かっていった。

救急車に乗せられ、病院に向かう途中、

薄い記憶の中で救急車のサイレンが響いていた。

 

大事には至らなかった。

が、それからしばらく、サイレンの音がずうーっと聞こえていた。

また、発作が来るのではないかという不安とともに。

 

今、そのことをドラマを見て思い出した。

あの音が聞こえなくなったのはいつだったのだろう。

それすら覚えていない。

 

阪神淡路大地震から25年。

東日本大地震から9年。

でも、阪神淡路大震災は今も続いている。

東日本大震災も。