もう16年も前のこと。
田舎に住む母に会いに嫁と子供3人を連れて帰省した。
田舎に住む姉の話しでは、最近はボケも進んでいるとのこと。
姉が母に会いに行っても理解してもらえないとのことであった。
「だから、◯◯(私の名前)が顔を見せても誰かわからないと思うよ。
予め覚悟しておきなさい」と。
当時、私の子供は一番上が小学生。
子供である私の顔もわからないのなら、孫の顔など母はわからないはず。
一旦帰省し、
そして、母が入っていたケアセンターに向かった。
姉に案内され、母の部屋に。
すると、母は私の顔を見るなり、「元気だったか」と。
そして、孫に向かって、まず、名前を読んだ。
さらに「大きくなったね。何年生になったの」と聞いてきた。
ケアセンターを後にして、
私は姉に言った。「全然ボケていないではないか」と。
姉は、「おかしいな。今日は体調が良かったんだね」と。
数日、田舎で過ごし、東京に戻る日に、
「また、来るね。元気にしてるんだよ」
と母に別れを言った。
東京の家に戻り、その夜は普通に過ごした。
翌朝は、仕事。
朝食を取り、会社に向かう。
子供達は冬休み。
会社について、席に着いたところで姉から携帯電話に着信が来た。
姉は、「お母さんが危篤だ」と。
急ぎ家に逆戻り。
その途中、姉から母が逝ったとの連絡があった。
また、家族全員で飛行機に乗り帰省となった。
本当、今でも不思議である。
ボケていた母。
でも、全く問題ないくらい普通だった。
ちゃんと私や孫達のことを覚えていて、普通に会話していた。
それが翌朝には。
若かった私も今はいい歳になってしまった。
そして、今、人間の能力の無限性を感じる。
死を前に母は、最後の輝きを放っていたんだね。
まるで、蝋燭が切れる前に最後の灯りを輝かせるように。
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私が読者となっている人のお母様が亡くなられたとの報告が、今日ブログにあった。
それを読み、母の死の時を思い出した。
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母は今、天から私達を見守ってくれている。
お母さん、私はいつになっても子供で、
ダメダメな生活をしています。
でも、私も50歳代になり、
自分が何をしなければならないのか、
一番大事なことは何か、
そんなことを考えることが
少しは出来るようになってきたような気がします。
私がお母さんのところに行った時、
お母さんに
「頑張って生きてきたね 」
って、言ってもらえるように、
もう少し、
自分に出来ることやってみるね。